映画感想

映画HOKUSAIの感想【底しれぬ体力の持ち主だった葛飾北斎】

ストーリーボード

映画HOKUSAIを鑑賞してきました。

感想をひとことで言うなら、葛飾北斎は底しれぬ体力の持ち主だった、ということです。

この記事では、HOKUSAIのあらすじと、感想を2つのポイントにまとめて述べてみたいと思います。

あらすじ (MIHOシネマより)

江戸時代。葛飾北斎は貧しい暮らしの中、絵を描いていた。そんな彼の元に、本や絵の版元(出版人)である蔦屋重三郎が訪ねてくる。蔦屋は北斎の才能を見抜き、自分の下で絵を描かないかと誘いをかけた。

蔦屋は人気絵師を育てる名プロデューサーだった。喜多川歌麿は蔦屋の助けを借りながら遊郭で暮らし、美人画を描いていた。東洲斎写楽は役者絵を描き、蔦屋の店を介して出版していた。北斎は歌麿と写楽の才能に嫉妬し、自分が描きたい絵について見失っていく。

幕府は世を乱すものとして、読み物や浮世絵を厳しく取り締まっていた。そんな中、北斎は武士の柳亭種彦と出会う。柳亭は秘密裏に戯作者として活躍している人物だった。北斎と柳亭は親睦を深め、良き相棒となる。

映画HOKUSAIを観ようとと思ったきっかけ

ストーリーボード

大河ドラマ「青天を衝く」を楽しく視聴していますが、主人公の渋沢栄一が生きていた1800年頃の日本の歴史を振り返ったり、個人的にゴッホの絵が好きなので、ゴッホが影響を受けた葛飾北斎らの浮世絵について知ることができるのではないかと思ったからです。

底しれぬ体力の持ち主だった北斎

80歳を超えて東京〜長野間を歩く!?

北斎の代表作といえば、冨嶽三十六景ですが、この作品に着手したのが72歳。

これだけでも凄いと思いますが、映画の中で80歳を超えた北斎が東京から長野県まで歩いて移動した(であろう)シーンがあります。

調べてみると、80歳を超えてからも東京〜長野間を数回移動したといわれています。

当時のことですから、いまと比べても相当な体力が要求されるであろうことは言うまでもありません。

健康オタクとして、1日50,000歩あるいた経験のあるボクとしては、どんな方法で健康維持をしていたのか、ちょっと聞いてみたいと思ったり。

北斎がこの時代に生きていたら

斎はコロナウイルスに何を思う?

あなたは天保の大飢饉(1833〜1839年)をご存知でしょうか?

大雨などにより作物が採れず、各地で餓死者を多数出し、当時の日本の推計人口は1833年からの5年間で125万2000人減少したといわれています。

冨嶽三十六景が描き終わる頃、天保の大飢饉が起こったのですが、北斎はどんな気持ちでこの飢饉と向き合っていたのでしょうか?

もし、いまこの時代に北斎が生きていたら、何か絵を描いていたんじゃないか、描きたかったんじゃないか、、、ふとそんな気持ちになりました。

💡今日のなるほど

もともと今年の秋に長野県に行く予定がありました。

せっかくなら、北斎の肉筆画も見えるようだし、行ってみようかな。

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Hideki K.
●日々の気付きをまとめています ●川崎市在住 ●ウェブマーケやセルフマネジメント、健康ネタなど ●身銭を切って買ったもの、実際に使ったもの、実際に見たものだけを紹介・我が子が理解できるわかりやすさが当ブログのポリシー

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