ひとことで言うと、【英国の地方都市を舞台にした現代版中学生日記】です。
経済格差や人種差別といった、現在のイギリスで顕在化している多様性が、主人公である著者のブレイディみかこさんの主人公の息子とその友達を通して描かれています。
今回は、著書の感想を【日本人の目線】【ライターの目線】【親の目線】それぞれ、感じたことをまとめてみました。
日本人としての目線
日本人には考えられないレベルの多様性を感じました。
タイトルに込められた意味とは
タイトルである、イエローは黄色人(アジア人)を、ホワイトは白人を表しています。
主人公は、地元で英国ではチンク(中国人もしくは、アジア人を表す英語の侮蔑語/ウィキペディア)などと言われ、母親の祖国である日本に行けばガイジン扱いされ、どこにも属していない寂しい気持ち(ブルー)を「ぼくはイエローでホワイトで ちょっとブルー」 だと記しています。
残念ながら、ボクにはこの気持ちは殆ど、理解することができません。
ほんの少し、理解できることができるとすれば、昨年、スペインに旅行に行った際、疎外感を感じました。
「君たちアジア人は、小さい歩幅で歩くから遠くから分かる」と言われ、馬鹿にされたような嫌な気持ちになりました。
寒くても半袖でコンパスが長い欧米人が多い
セクシュアリティとは流動的なもの
ある日、息子が中学校でレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クエチョニングといった事をディスカッションしあう場面があります。
ここで、クエスチョニング(まだ決まっていない、ひとつにきまるものではない)という考え方があることを知りました。
少し話が反れますが、ボク自身、自分にHSPという気質を持っている(であろう)ことを最近知りました。
自分の持っている外交的な面と内向的な面が相反して、違和感を感じてきた部分と、セクシュアリティとは、さまざまな局面で、自覚したり、しなかったり、という流動的なものなんだという両方が何かストンと腹落ちしました。
親としての目線
著者のみかこさんが主人公である息子の相談相手としてとても程よい距離感で関わっているように感じられ、おなじ年頃の子供を持つ親として、温かい気持ちになりました。
みかこさんと息子が福岡の実家に戻って、父親と3人で食事をする際に、酔った日本人サラリーマンに絡まれるシーンがあります。
息子がみかこさんと英語で会話するのを見て、
「日本人の顔して日本語が話せないってオカシイだろ、、、」
というのが、酔ったサラリーマンの言い分。
「はっ!?」って思いません?
その後、息子はどんな反応をしたと思いますか?
その反応を見て、母親であるみかこさんは何を感じ、息子に何と言葉を掛けたと思いますか?
ネタバレするので言いません(笑)
このサラリーマンはきっと、自分の信じた価値観が揺らいだり、変わってしまうことが許せない人なんでしょうね。
この時、日本語が分からなくても子どもながらに嫌な気分を味わっているはず。
親として、このような嫌な体験が、後になって、息子が他者の状況を考えられたり、相手にエンパシー(自分と違う価値観や理念を持っている人が何を考えるのか「想像する力」のこと)を働かせる子供になって欲しいと、じっと見守り続ける姿にとても共感できました。
ひとりの「もの書き」としての目線
最後に、おなじ「もの書き」の目線でまとめてみます。
著書を読んでみて、経済格差や人種差別といったセンティティブな問題を非常に淡々と描かれていることに感心しました。
所得格差は教育格差
学校は社会を映し出す鏡で格差があり、格差が拡大するまま放置される場所には勢いがない
と、みかこさんは言います。
英国は、労働階級の親が子供を大学に通わせることが本当に難しくなっているし、さらに(大学に通わせられないと)格差は悪化するとも。
これ、見事に日本もそうじゃないかと思います。
これは日本のでも近い将来、起こりうるかも知れないし、もう始まってるかも知れないよ、という警告だと受け取りました。
最後に
ボクも高校生と中学生の子供を持つ親として、日々学校で、何か貴重な経験や楽しいことが生まれているのだろうか、と考えることがよくあります。
学校が差し出してくる価値観を当たり前と思わず、違和感を感じたら先生の言いなりになんかならなくても、はみ出せばいいと結構本気で思ってます。
そこから見えるものを最初の一歩にして、自分なりのやり方で、その先を切り開いてみる。
そうすれば、またその先に自分にしか見えない景色が広がって、生きてくことって結構楽しいかもって思えたらしめたものだよ。
って、言いたいし、親がそうやって楽しそうに生きていることが、何よりの教育になるんじゃないかと改めて考えさせてくれた著書でした。