昨日のアカデミー賞式典中に起こったウェルスミス氏の立ち回りに関する報道を観ていて、言葉の暴力ということを思い出しました。
暴力って、身体的なものだけではない、ということです。
ある人は、「妻を侮辱された悔しい気持ちは分かるけど、暴力は良くない」といいます。
他者に対して心理的に制圧を加える心理的暴力を言葉の暴力といいますが、司会者のクリス・ロックの発言は、立派な暴力行為です。
それに、ウィル・スミスは、本当は平手ではなく、拳で殴ることだってできたはずなのに、それをしなかった。
ボクには、あの状況でも手加減していたように感じられました。
愛の反対語は無関心!?
ボクは、勤務先の社内のある人から1年間以上無視され続けた経験があります(いまだったら、完全にパワハラです)
あとから、それはボクだけではなかったことが分かるのですが、会社に行く日はほぼ毎日、無視され続けることほど辛いことはありません。
そのおかげで、非常に考える力、調べる力が身についたという意味では良かったと思います。
とはいえ、自分がいまやっていることが、正しいのか、間違っているのか、頼る相手がいない、相談する相手がいないというのは、本当に辛いことです。
もし、ボクが間違ったことをしていたなら、一発殴ってくれたほうがまだマシです。
もしあなたが、昨日のアカデミー賞式典中に起こったウェルスミス氏の立ち回りの一件について、【殴ったことに対してしか暴力性を感じなかった】んだとしたら、もしかすると、無意識のうちにどこかでだれかに、言葉の暴力をふるってしまっているかも知れません。
もちろん、ボクも含めて。
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