仕事やプライベートで、できるだけ早く正解を導きたい、間違いを犯したくないものです。
先日、ある方と話していて、おすすめの本や筋トレメニューを知りたいという話しになりましたが、ボクは、読書の仕方や、現在までにいたる筋トレでやってきたことなどの過程について話しましたが、「おすすめ本」や「筋トレメニュー」については触れませんでした。
以前のボクは、誰かに正解を教えて欲しい「教えて君」でしたが、いまはその反対の立ち位置に変わりました。
その理由を最近のスポーツジムでの出来事に照らし合わせて2つ、お話してみようと思います。
ボクに良かったからと言って相手に良いとも限らないから
人の正解を同じようにやってみても、自分の体力やスキル、知識レベルによって異なるからです。
かれこれ週1〜2回のペースで参加している下半身強化のプログラムでのことですが、片足を着地させたままのちょっとした運動が、周りの人の同じようにできないのです。
ある時、講師の方が何気に言った「お腹に力を入れてますか?」のひと言でハッっとしました。
もっと体幹を使え、カラダの真ん中を意識して運動しろ、ということなのですが、ボクにはまったく出来ていませんでした。
このように、普段から腹筋や背筋を意識しない、鍛えていない人が脚力だけ鍛えようとしても限界がありますし、脚力と体幹のバランスはひとそれぞれなのです。
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人の正解を模倣しても再現性が低いから
無くて七癖、という言葉があるように、自分の考えや行動パターンにはクセがあります。
どんなに教え上手な人でも、マンツーマンだとか、寝食を共にできない限り、相手のクセや分からないものです。
また、下半身強化のプログラムの話しになりますが、講師のように見様見真似でスクワットをしてもどうも上手く行かない。
そこで前方と側面の鏡を見ながら自分のフォームをチェックしてみると、膝が内側に入りやすいクセがあることがわかりました。
このように、見た目だけを再現したつもりでも、ちょっとした自分のクセに気付かないことで、次のステージに進めない事例は、誰もが経験するところではないかと考えます。
まとめ
人の正解は、あくまで参考情報。
他人の意見は、自分の試行錯誤や意見なりがあったうえで足しにしたり、自分の考えを決める手がかりにする程度に留めて使うのが良さそうです。
そして、試行錯誤は楽しいもの、壮大な実験を行っているくらいの気持ちで取り組めばOKですね。