フクシマフィフティの映画感想【東日本大震災時原発でリアルに何が起こっていたのか?】

映画 フクシマフィフティを鑑賞しました。

ひとことで言うと、東日本大震災時原発でリアルに何が起こっていたのか?をよりリアルに感じることができた、ということ。

視点を変えると、ニュースで流れている情報ってほんの一部が切り取られて報道されているんだな、ということ。

映画を観たきっかけ

観たい映画リストを作っており、フクシマフィフティはその中に入っていました。

また、放射能とコロナウイルスの【見えない恐怖と闘う】という共通点に、今観ておくべきなんじゃないかという思いもあります。

映画のタイトルが気になって調べてみた

フクシマフィフティってなんだろう?と思って検索した結果、ウィキペディアによると、

フクシマ50(フクシマフィフティ、英語: Fukushima 50)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の際に福島第一原子力発電所の対応業務に従事していた人員のうち、同発電所の事故が発生した後も残った約50名の作業員に対し欧米など日本国外のメディアが与えた呼称。

https://ja.wikipedia.org/

フクシマ50の情報は、東京電力によって氏名や所属会社を含む一切の情報の開示が拒絶されている。ウォールストリート・ジャーナルの取材によると、フクシマ50の一人が、危険手当など一切の特別報酬なしに、被曝の危険と隣り合わせになりながら職務にあたっていることが明らかになった

https://ja.wikipedia.org/

とありました。

また渡辺謙が演じる、主人公のひとりである吉田所長は、実在する人物であり、ジャーナリスト・門田隆将氏が90人以上の関係者への取材をもとにつづったノンフィクション本「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫刊)が映画の原作になっているようです。

映画を観た感想

感想を3つのテーマにしてお伝えしてみます。

原発の恐ろしさ

やはりこのテーマが外せません。

現場は、真っ暗な建屋に懐中電灯ひとつで問題解決にあたっていたこと(なおかつ、被爆するため1時間以上の滞在が許されず、完全防護服のため、作業中は水分補給すらできない状況だった)

数十人もしくは数百人が使うトイレが断水しているため、満足に掃除ができなかったこと。

もう、これだけでもボクには耐えられないと思いました。

ちなみに、最後の最後まで残った作業員は、責任のある立場だったり、年齢が40〜50代が中心で、未来ある若者が現場に残ることは許されなかったようです。

現場の本部、政府との対立構造

刻々と変化する状況に奔走する事故現場と、遠隔で指示する本部役員との対立構造がとてもリアルに描かれていました。

命がけで原子力の拡散を最小限に留めようとする現場に対し、本部役員は政府に忖度し、政府はアメリカに忖度する、という構造は、この映画に限ったことではありませんが、現場を無視した態度にはやはり腹が立ちます。

CGを駆使した臨場感

津波や地震を再現するためにCGを駆使していたものと思われますが、実に臨場感に溢れリアルに描かれていました。

また、当時の発電所の映像なども随所に取り入れられていたため、そこで何が起こっていたのか、説得力が増していたように感じました。

💡今日のなるほど

この類のヒューマンドラマ系映画はを時々鑑賞すると、自分の日々の悩みがちっぽけなものだと気付かされ、「よし、また頑張ろう」と背中を押される気がします。

次回は最近、映画の予習に欠かせない、MIHOシネマさんの「ヒューマンドラマ映画一覧」の中からピックアップしてみようかと思います。

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